×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
それはまるでひかりのような
「潤也、話がある」
夕食の並んだテーブルを前にして、兄は弟にのたまった。
今日のメインは、芯まで千切りにしたキャベツと、大量のもやしで限界までかさ増しした焼きうどん。旬でなくとも特売コーナーに並ぶもやしと、夕方6時以降は2割引になる100グラム88円の豚コマが兄のお気に入りだった。ちなみにうどんは1玉しか使っていない。
潤也にとって誰よりも優しく頼れる兄は、家計にも地球にも等しく優しい。
「なに、兄貴」
そんな兄の神妙な顔を眺めながら、潤也は席についた。胡麻油のいい香りが鼻をつき、いただきますもそこそこに箸を取りそうになるが、お預けを食らった犬さながらにじっと我慢の子を貫く。
普段から温和な兄は、これで怒ると結構怖い。それも怒鳴りつけるような爆発的な怒りではなく、地中で煮えたぎる溶岩のような静かな怒りだから、表面温度が伺えない分、直面した時の恐怖はいや増すというもの。
とは云え正直、今の兄が本当に怒っているのかどうかの確証も無いのけれど、この前の小テストの結果は確かにひどいものだった。もしかしたら担任から兄にご注進でもあったのかもしれない。
「・・・今日、スーパーで詩織ちゃんのお母さんに会った」
「あ、そーなんだ?」
潤也は拍子抜けすると同時に箸を取り、良かったと心の中で胸を撫で下ろす。少なくとも詩織がらみの事で怒られる心当たりは無い。
元気に「いただきます」をしてうどんを小皿に盛ると、向かいから小さなため息が聞こえた。
「食べながらでいいから聞きなさい。お前、旅行のこと詩織ちゃんに口止めしなかったのか?」
「くひどめ?」
「喋る時は飲み込んでから!・・・その、お前と詩織ちゃんが旅行に行くって・・・」
「別に、してないけど」
云いつけ通りごくんと飲み込んだ後、なんで?とでも云いたげな表情で首を傾げる。いっそ無邪気な弟に、兄は『う』と詰まりながらも話を続けた。
「いいか、お前も詩織ちゃんもまだ高一だ。年頃の女の子が野郎と二人きりで旅行なんて云ったら、普通は親御さんが心配するだろう」
「でも事実じゃん」
「だからそこは!・・・嘘も方便って云うだろう。詩織ちゃんには誰か女の子と一緒に行くって云ってもらえば余計な心配は・・・」
「詩織のかーさん、何か云ってた?」
結論を急ぐのは、これ以上兄を悩ませたくないからだ。するとなぜだか兄は、心底疲れたように小さく息を吐いた。
「・・・娘をよろしくお願いします、って」
二度目の拍子抜け。ならば何も問題は無いではないか。
兄の懊悩の正体がわからず、潤也は箸を置いてその顔を覗き込んだ。
シャープな顔立ちの美人だった母親に似た面差しの兄は、伏し目がちにすると意志の強さより儚さの方が勝つ。豪胆でおおざっぱな父親似の自分とは、ほとんど外見的共通点はない。
だからだろうか。兄の心情を推し量ろうとするときは、いつもこうやってじっと覗き込むのが潤也の癖だった。自分と同じところ、違うところを、ひとつひとつ確認するように。
「兄貴?」
「・・・責任、とか」
蚊の鳴くような声に『え?』と聞き返すと、兄はきっと顔を上げた。
「責任とか、取れるのか?」
その真剣な表情に、潤也はふっと表情を和らげる。
「ホントに真面目だなぁ兄貴は」
「潤也!」
弟の素直な感慨が、揶揄のように聞こえたのか、兄は珍しく声を荒げた。が、
「大丈夫だよ。俺たち結婚するから」
「・・・へ?」
「そしたら何も問題ないだろ?」
眼を見開いて弟の顔を見つめる。その顔に、茶化しや誤魔化しは感じられない。
無意識の内に張り詰めていた肩の力を抜くと、椅子の背もたれが背中に当たった。
(そうか、二人は結婚するのか)
年齢を考えれば突拍子もない話には違いなかったが、天衣無縫という言葉が良く似合う弟の言葉は、時にどんな理論よりも兄を納得させる力を持っている。
『娘をよろしく』と云った時の、詩織の母を思い浮かべた。その表情、声からは、牽制でも勘繰りでも無く、ただ自分たち兄弟への信頼だけが伺えた。そんな風に彼女を納得させたのは、潤也の『一人の男』としての器と資質だ。
兄である自分だけが理解していると思っていたそれが他人にも認められた事に、大きな誇りとほんの小さな寂しさが混じったのは事実。だけど。
・・・そうか、結婚か。
いつしか兄の脳裏には、いつも自分の後をついて回っていた弟の姿が鮮やかに浮かんでいた。
あんなに小さかった潤也がなあ。(俺も小さかったけど)
潤也は楽天家で無鉄砲で考えなしだが、やるといえばやる男だ。きっと幸せな家庭を築くだろう。
改めて、この家が持ち家で良かったと、今は亡き両親に感謝する。そもそも兄弟二人でやってこられたのも住む場所があったからこそだ。
─そうだ、新婚さんに必要なのはまず家だ。
この家には小さいけれど庭もある。すぐに子供ができたって何も問題はない。
むしろ問題は自分だ。さすがに一緒に住む訳には行かないだろう。幸い、目標にしている進学先は学費の安い国立大だから(安いから目標にしていると云ってもいい)、卒業と同時にアパートを借りても、今まで切り詰めていた分で何とかやっていける。今こそ、長年の倹約生活が実を結ぶ時だ。ここで放出しなくていつ使うというんだ、俺!!
(大丈夫、潤也は必ず幸せになれるよ・・・父さん母さん・・・)
「ってちょっと兄貴!こんなトコで考察モード入らないでよ!」
ほとんど脊髄反射のように人生設計に思いを馳せていた兄は、弟に両肩を揺さぶられて我に返った。
「あ、ああ、大丈夫だ潤也、何も心配はいらない」
「って何が!」
「式はちゃんと挙げるんだぞ。兄ちゃん、そのくらいの蓄えは・・・」
「ああああもーーッ!今すぐなんて云ってないだろ!いつか!将来!もっっっっと先!」
髪をかきむしって吠える弟に、ようやく兄は夢から覚めたような顔つきになった。
「そ、そうか。それはそうだな。まだ高校生だもんな」
ホントにわかってんのかなぁ、と疑わしげな眼差しを向ける弟を尻目に、「俺が家出るのももう少し先で良いか・・・」などと、ぶつぶつ呟いた兄の言葉を、潤也は耳ざとく聞き咎めた。
「・・・何それ、兄貴。家出るって」
弟のまとう雰囲気がすっと一段階冷えたような気配には気づかず、兄は当然のように答える。
「何って、結婚するならお前達がここに住んだ方が都合がいいだろ?俺はどっかアパートか寮でも・・・」
「あーもうやっぱダメダメだな兄貴は!そんなんじゃ全然ダメ!」
「へ?」
弟からの予期せぬ駄目出しに軽く傷つく兄に、潤也は力強く云い放った。
「ここは俺達の家だろ!?なんで兄貴が出てくんだよ!」
「や、でも・・・だって」
「三人で住めば何も問題ないでしょーが!」
「・・・って・・・え?な、・・・はい?」
「兄貴と俺と詩織。今のまんまじゃん。何も変わらないよ」
「いやだってお前、普通は・・・」
お父さんがいてお母さんがいて兄弟がいる、普通の家族なら。
弟にお嫁さんが来るなら、兄が出て行くものじゃないのだろうか。・・・普通は。
「普通って何?それで俺たち幸せなの?」
畳み掛けるような言葉に、返す言葉も見つからず詰まる。
「兄貴は、俺がいなくても『普通』なら幸せ?」
真っ直ぐに見つめる瞳の、射すように強い眼差し。
それはどこまでもシンプルで、どこまでも迷い無く、どこまでもまっすぐで、まるで─
「俺、『普通』じゃなきゃ兄貴が幸せになれないってんならそれでもいいけど、でもそれ間違ってるから。絶対そんなんじゃ兄貴幸せじゃないから」
─まるで、光のような。
「だからどこにも行かせないよ。絶対」
滅茶苦茶だ、と思う。
そんな家族は聞いたことが無い。少なくとも、自分は知らない。
普通の家庭に憧れていた。父がいて母がいて、兄弟がいる『普通』の家庭に。
だから潤也もそうなのだとずっと思っていた。
けれど、真剣に自分の顔を覗き込んでくる潤也の顔を見ていたら、あんなにはっきりと憧れ、思い描いていた『普通』が、一体どんなものだったのかもよくわからなくなってきて。
「兄貴。・・・怒った?」
眉間に皺を寄せて考え込んだ兄の表情をなんと誤解したものか、恐る恐るといった風情の弟に、軽く吹き出しそうになるのをこらえる。さっきまでの勢いはどこへやら、もし耳と尻尾があったら、きっとぺしゃんこになっているに違いない。
「・・・そうだな。そんなのもあり、かもな」
苦笑して呟くと、潤也の表情が途端に明るくなった。
「兄貴ー!」
「わ、こら、あぶな・・・!」
制止も聞かずに飛びついてくる弟を、受け止めきれずに椅子ごとひっくり返る。したたか打った背中に顔をしかめつつも、満面の笑みで懐いてくる弟を前にすると何も云えなくなってしまう。
(・・・甘いよなあ、俺も)
一応、そんな自覚はある兄だった。
「こら!いい加減離れろって!」
何度か叱りつけられて、しぶしぶ離れていった潤也だったが、しばらくするとまた無邪気な笑顔を見せた。
「明日早速、詩織に報告しなきゃなー」
「・・・そんなに嬉しいのか?」
「当たり前だろ!?詩織だって楽しみにしてるんだからな、三人で一緒にここに住むの」
そんな風に自分の存在を手放しで喜ばれて、嬉しくないはずもなかった。緩む口許を隠しながら、照れ隠しにそっぽを向いた兄の耳に、その言葉が届くまでは。
「あー楽しみだな!『明るい家族計画』!」
ぴき、と兄のこめかみが痙攣した。
「・・・潤也」
「え、なに?」
「いや、今の・・・」
「『明るい家族計画』?やーやっぱ作戦名は必要かなーって。学校で詩織とこの事話す時はいっつも・・・」
いつも?
学校で?
詩織ちゃんと?
『明るい家族計画』云々・・・と?
「え、な、なに兄貴、顔が怖いよ?怒ってるの泣いてるの笑ってんのどうなの兄貴!?」
どうなのって。
そんなの俺が知りたいよ。
「・・・とりあえずそこ、座りなさい」
「は、ハイ・・・」
神妙に椅子を直す弟を見つめながら、さてどこから嗜めたものだろうか、と。
(・・・俺の育て方、間違ってないよな・・・?父さん、母さん・・・)
すっかり冷めた焼きうどんを前に、天を仰いで答えを探す兄だった。
END
原作では、至極ナチュラルに兄と弟とそのヨメが暮らしてる
安藤家ですが、漫画版の安藤だったら、そこに至るまでに
色々と葛藤とか懊悩とかがありそうだなーと思った訳で。
安藤家ですが、漫画版の安藤だったら、そこに至るまでに
色々と葛藤とか懊悩とかがありそうだなーと思った訳で。
PR
title
profile
▼site master:サクラコ
文章と絵の人。黒猫属性。
お返事は速かったり遅かったりまちまちです。
文章と絵の人。黒猫属性。
お返事は速かったり遅かったりまちまちです。
▼guest:クロシバ ケイタロウ
漫画の人。柴犬属性。
counter