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花になんかなれなくてもいい
その日、教室はなんだかいつもよりざわついていた。
正確に云えば特にやかましい訳じゃなかった。いや、確かにやかましいんだけど、その「やかましい」のをみんなして一生懸命隠そうとしてるみたいな、不自然なやかましさ。これってあれかな、「浮足立ってる」って感じ?
その理由は二時間目の終わりに判った。
「昨日保護者会あったじゃん?」
後ろの席から掛けられた言葉に、ああと思い当たる。
「そういや、兄ちゃんがなんか担任からプリントもらってた」
「お前ンちって、そーいうのも全部兄貴なん?」
「うん。親いないし」
一応、名目上の保護者だか後見人だか、そんな立場の人はいたらしいけど俺にはよく解らなかったし、その人は近くに住んでる訳でもなかったから、俺にとって確かなのは、ウチの『大黒柱』は間違いなく兄貴だという事。ただそれだけだった。
「そっかー」
ウチに兄貴と俺しかいないのはクラスのみんなが知ってる事なので、今さら特別どうこう云われる事もない。そいつは「でさー」と話を続けると、何か内緒話でもするみたいに声を落した。
「野外学習近いじゃん?んで、なんか、今日やるみたいなんだよね」
「何が?」
「せーきょーいく」
とっさに頭の中に漢字が浮かばなくて「?」を顔に張り付かせたけど、そいつの妙にへらっとした顔見てたら思い当った。
「あー。ほけんたいくのあれ?」
「そうそう。んでさー、なんかウチの親朝ッパラからやたら話ししたそーにしてんだけど、今さらじゃん?」
「まーなー」
確かに、今さらな感じ。そりゃもちろん小学5年生で体験なんてある訳ないけど、漫画だってネットだってそんな情報ばっかりなんだし。知らない方がおかしいって。
「・・・だからかな」
「なにが?」
「兄ちゃん。朝なんかそわそわしてた」
「あー・・・」
保護者は大変だよなーなんて他人事みたいに云いながら、そいつは席についた。
チャイムの挟間に「ムセイってした事ある?」とか云う声がやたら響いて、何人かの女子の「うっさいバカ!」という声がそれに被った。
頼まれてたお遣いをして家に帰ると、しょうゆで玉ねぎを煮るどこか甘い匂いが漂っていた。途端にぐぅと鳴るお腹を押さえてキッチンに飛び込む。
「ただいま!今日のごはんなにー?」
「親子丼。卵安かったから」
「やった!」
親子丼は、先週の調理実習で習ってたメニューだ。多分、異様に子沢山な親子丼であることは想像に難くなかったけど、兄貴のご飯は基本的に何でも美味しい。
兄貴の隣に並んで、これも調理実習で習ったポテトサラダを作る。ほこほこのジャガイモを潰しながら、兄貴も去年せーきょーいくの授業受けたのかなあ、なんてふと思った。
「兄ちゃんも去年セックスの授業聞いた?」
途端、ごふぅと潰れた通気口みたいな音をたてて兄貴は咳き込んだ。
「だ、大丈夫兄ちゃん!?」
「っ・・・だいじょぶ・・・じゃな・・・」
ご飯が気管に入ったらしく、涙目で深刻な咳を繰り返す兄貴に慌てて冷たいお茶を差し出す。
何度か発声練習みたいなのをして、ようやく人心地がついたらしい兄貴は、まだ潤んでいる瞳で俺を睨むと、
「・・・その話は、後で」
と、低い声で云った。
そのいつにない迫力に気圧されて、俺はただぶんぶんと頷いていた。
「お前な、間違ってもああいう事を外で云うんじゃないぞ」
晩御飯を終えて洗い物を片付けた後、リビングのソファに座るなり兄貴は云った。
「ああいう事って?」
とぼけた訳じゃなくてホントに判らなかったんだけど、兄貴はぐぅと言葉に詰まる。
「・・・セッ・・・とか、なんとか」
と、ようやく絞り出したみたいな声でぼそぼそと云った。
「なんで?別に恥ずかしい事じゃないんでしょ?」
本気で不思議に思って訊くと、兄貴が真正面からずずいと寄って云った。
「いいか、『恥ずかしい事じゃない』のと『恥じらいがない』ってのは別物だ」
「う、うん」
正直な所俺にはよく解らなかったけど、兄貴が耳まで真っ赤にして力説するものだから、なんだか釣られて赤くなってしまった。そうか、これが恥じらいって奴なんだな。
「もう云わない」
「よし」
何がいいのか解らないけど、ともかく兄貴は頷いてくれた。
けど、そんな兄貴のほっとした顔を見てたら、ちょっと悪戯心が湧いてきて。
「でも、俺・・・」
「どうした?」
「ホントはあんまりよく・・・解ってないんだよね」
「え?」
「兄ちゃん、教えてよ」
「・・・!」
ちょっと心細そうに上目遣いで見て、主語が何かは云わないのがコツ。すると兄貴は思った通り、これ以上赤くなれるんだぁと感心したくなるくらい真赤になった。
(・・・ていうか)
考え事をする時の癖で手を口に当てて、潤んだ眼を伏せがちにして必死で考えをまとめてるっぽい兄貴を見てたら、何だか可愛いのを通り越して可哀想になってしまって。
『ごめん、冗談』って解放してあげようとしたら、兄貴がキッと顔を上げた。
「ちょっと待ってろ」
「へ?」
そう云ってリビングを出ていく兄貴を見送って、一体何が始まるんだろうと首を傾げる。
(実地で教えてくれるとか?)
なんて、冗談で思った筈なのに、心臓が破れるかと思うくらいドキドキしだして、俺はみっともなくうろたえる。考えちゃいけないと思いつつも、頭の中では潤んだ瞳で俺を見上げる兄貴の姿が上映されてて、って、一体なに考えてんの俺!
「お待たせ」
「わあぁぁぁぁぁごめんなさいごめんなさい!」
やましい心を見透かされたようなタイミングに、思わず条件反射でごめんなさいと口走る俺。その時、兄貴の手に持っているものが目に入った。
「・・・本?」
キョトンとした兄貴の持っているものは・・・植物図鑑だった。
「いいか、花にはめしべとおしべがあってだな・・・」
目の前に図鑑を広げて解説する兄貴。どこまでも真剣なその表情に、俺はもう一遍心の中で謝った。ごめんなさい兄ちゃん。俺はあなたを汚すところでした。
「こら、聞いてるか?」
「き、聞いてます聞いてます」
「よし」
生真面目に頷くと、兄貴はまた解説に戻る。最初のうちはあんまり聞いてなかったけど、兄貴は元々妙に説得力のある話し方をするので(俺にだけ?)、気がついたらかなり真剣に聞き入っていた。
─そして、5分後。
「え・・・お花もセックスすんの!?」
「だからそういう事大声で云うなって!」
「ご、ごめん」
けど、ホントに俺はビックリしていた。だって、俺はそれまでセ・・・あんな事、動物しかしないものだと思ってたから。
「それじゃ、植物が途絶えちゃうだろ。方法は違うけど、子孫を残すメカニズムはどんな生物でも持ってるんだ」
「ふぇ~」
そうか、俺たちお花と一緒なんだ。
それは、俺にとっては結構衝撃的な事実だった。けれどすぐに俺はその考えを否定する。
俺たちが、じゃない。正確には兄貴が、だ。
一生懸命に話す兄貴の、まだほんのり赤い首筋は片手で簡単に折れそうな程に細くて、植物図鑑の中で健気に咲く花の姿に重なった。
お花なのは兄貴1人。やっぱり俺は爪も牙もある動物でなきゃ。
だって俺たち2人ぼっちなのに、2人とも花だったら何も守れない。
兄貴を、守れない。
「・・・どうした?兄ちゃんの云ってる事、難しいか?」
急に黙り込んだ俺を気遣ってか、心配そうに顔を覗き込んできた兄貴にふるふるふる、と頭を振る。
違う、全然違うよ。解ったんだ、俺。
「ね、兄ちゃん」
「う、うん」
「キスしていい?」
「・・・は?」
目を点にしている兄貴に、ソファの上でじりじりと膝を詰めて近付いた。
「しよ?」
「いや待て待て待て。お前今までの話ちゃんと聞いてたか!?」
「聞いてたよ。だからキス」
「しない!」
えーと不満の声を上げると、兄貴は『話はこれでおしまい』とばかりに図鑑を閉じた。別にいいじゃんかキスくらい~と尚も食い下がるけど、兄貴の答えはにべもない。
「いいか、キスってのは好きな人とするもんだ」
「だったら問題ないじゃん」
「・・・言葉が足りなかった。好きな『女の子』とするもんだ」
兄貴は相変わらず真赤になりながら、恥ずかしいのかそっぽを向いてこんこんと諭す。そりゃ、女の子とだってするけどさ。いいじゃんか別に兄弟でしたって。
しつこくお願いしながら、兄貴は結構頑固だから、これ以上云ってもダメかなぁなんて諦めモードに入ったその時、
「・・・男同士とか兄弟で、ふざけ半分でやっていい事じゃ・・・」
兄貴が呟いた言葉を聞いたら。
「ふざけてなんかない!!」
自分でも思っても見なかったくらい大きな声が出て、目の前の兄貴はもちろんビックリしてたけど、俺も同じくらいビックリしてた。
ふざけてなんかいない。興味本位でもない。
解ったんだ。なんで兄貴の傍に俺がいるのか。なんで、兄貴だけでも俺だけでもなく、2人ぼっちなのか。
兄貴がいなかったら、俺はとっくに死んでた。息はしてても、死んでるのと同じだった。
けど、それは兄貴も同じだったんだ。
だって、簡単に踏み潰せてしまう小さな花を、守ってやれるのは俺だけだから。
爪も牙もある、俺だけだから。
俺は多分その時初めて、父さんと母さんに感謝した。俺の兄貴を生んでくれて、俺に生きる意味をくれて、ありがとうって。
そっか、これがあいしてるって事なんだって。
そう思ったら自然に、兄貴を抱きしめたくなった。ううんそれだけじゃなくて、心臓の動きが判るくらい近くで触れて、その口がちゃんと息をしてるのか確かめたくなった。
だからキスをしたかったのに。
(どうしてわかってくんないんだよ兄ちゃんのばか!!)
「な・・・泣くなよぉ」
「泣いてないよ!」
嘘だった。俺は元々泣く事にあんまり抵抗が無い方だけど、兄貴の前では特によく泣く。そうすると兄貴はそれまでの頼もしさが一転して、おろおろとどっちが泣いてるのか判らない様子で俺を宥めにかかる。その様子があんまり可愛いから俺はよく嘘泣きも使ったけど、今度はホントに泣いていた。けど、認めたくなかった。
こんなにもいとおしくて泣きたいくらいどうしようもないのが自分ひとりだけだなんて、そんなの絶対に認めたくなかったから。
─その時。
小さく、小さくほんの微かに、俺の頬でちゅっと何かが鳴った。
「・・・っこれでいいだろ!」
見返すと、目元まで真赤にした兄貴がいた。そんなに赤くなったら死んじゃうよなんて見当外れの言葉が喉元まで出かけて、でも実際に口を衝いて出たのは。
「何?今の」
「・・・・・・きす」
「違う!あんなのいつものおやすみのチューじゃん!全っ然違うよ兄ちゃん!」
「ばっ・・・・・・最近はしてないだろ!?てか、じゃあどうしろって云うんだよ!」
「こうだよ!」
最初に掴んだのは、手首。俺の指が余る程の細さにまず驚いた。それから、小さな唇に。柔らかそうなのにどこか造りものめいたそれから、眼が離せない。
こんなにも、何もかもが壊れそうなほど頼りないのに。
ねえ、本当にちゃんと生きてるの?
「・・・っ・・・!」
それは口づけるというより、咬みつくといった方が近かったも知れない。
零れる吐息も逃がさないように、口をずらしてぴったりと、少しの隙も無く閉じ込めて。
逃げ出そうと暴れる何かに気がついて、押さえつけてみたら舌だった。甘さと錯覚しそうな程に柔らかく、けど懸命にもがく舌がなんだかいじらしくて、無骨な俺の舌を絡めたらくぐもった声が漏れた。それで俺はまた馬鹿みたいに興奮した。
じくじくとこめかみが脈打って、血の巡りが判るくらいに胸がどきどきしているのが判る。けど、ぴったり体がくっついているから、このどきどきがどちらのものかが判らない。
俺だけだったらどうしよう。そう思った途端冷たい焦りが背筋を走り抜けて、気がついたら兄貴のTシャツの中に右手を忍ばせていた。左手と唇で押さえつけながら、俺よりも少しだけ体温の低い、滑らかな肌に直接手をやる。
俺のそれと同じくらい─いや、それ以上に強く感じる鼓動に安心して、すっと手のひらをずらすと、小さくて、けどしっかりと固い感触を伝える粒に触れた。
途端、電流に触れたみたいにびくんと跳ね上がった体に驚いて、思わず手首を放してしまう。その隙を見逃さず、兄貴は俺の支配下から抜け出した。
(あーあ、終わっちゃった)
もっと味わっていたかったのに─なんて呑気な感慨は一瞬。次の瞬間、身を守るように縮こまった兄貴の顔を見て、俺はざっと青ざめる。光の加減で時々紅色にも見える黒目がちな瞳が、今は雫が零れそうな程に濡れていた。
・・・ヤバい!泣いちゃう!
守るべき花を無残に踏みつけてしまった、そんなイメージがすっと脳裏に浮かんだ。
「ご、ごめ・・・」
余程ショックだったんだろうか。兄貴はどこかぼうっとしたような表情で、その痛々しさに、俺の興奮はすっかり冷めてしまっていた。
けど、後悔はしてない。
だって、もしあの時に戻れるとしたって、俺は絶対また同じことをするから。
「じゅん、や・・・」
その時、兄貴が俺を手招きした。その、痛々しくもどこか艶めかしい表情に、またろくでもない思いがもたげかけるのをねじ伏せてその傍に近寄る。
「・・・」
「え、なに?」
囁くような声が聞こえ辛くて耳を寄せるのと、
「・・・こンのばかたれっ!」
脳天に物凄い衝撃を受けて昏倒するのとは、ほぼ同時だった。
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(・・・青かったなぁ・・・俺も・・・)
などと、しみじみ思いながら俺は回想モードを終了した。
今頃になって懐かしい事を思い出したのは、一冊の本のせいだった。
小難しい本で一杯の兄貴の本棚を整理していたら、一番下の棚から出てきた、やたら古くてずっしりと重い本。
子供向けのカラー図鑑は、大きくて無闇に場所を取る。兄貴はこれをシリーズで持っていたけど、滅多に読み返す事も無いからと、クローゼットの奥にしまっていたはずだった。
それが、どうしてこの一冊だけここにあったのか。今となっては解らない。
俺は、その植物図鑑を大切に抱くと、主がいなくなってずいぶん経つ部屋を出た。
俺の花はあの時枯れてしまったけど。
大切なものを守る為、花弁よりも牙が欲しいと思った、その思いの種子は今もここにある。
(だから俺達はずっと一緒だよ)
賭けてもいいよ。
END
8/9、追悼文。
たんぽぽになりたかったライオンの唄。
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▼site master:サクラコ
文章と絵の人。黒猫属性。
お返事は速かったり遅かったりまちまちです。
文章と絵の人。黒猫属性。
お返事は速かったり遅かったりまちまちです。
▼guest:クロシバ ケイタロウ
漫画の人。柴犬属性。
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